名古屋の中心ながらも少しゆったりとした風の流れる栄5丁目。
このエリアで独自のセンスと価値観を放つのが『ILLEST』。
常連から「寺」と呼ばれるこのセレクトショップの住職…もとい、
オーナーの木下さんにあれこれ話を訊いてみた。
中学生の頃、深夜のテレビ番組で見た「Vivienne Westwood」のモデルに衝撃を受けたところが原点だと思います。そのモデルが着用していたアイテムのデザインやインパクトが強烈で、撃ち抜かれました。それまでの僕はアメカジが好きだった…というか、見聞が狭かったので「こんなファッションもあるんだ!」と。
ただ着るためだけのものから、他の何かへと昇華されたと思います。高校に入ってからは、自分の中でますますその位置づけは大きくなり、バイトで稼いだお金の大半をファッションに費やすようになりました。とはいえ実際に好きなブランドの商品をバンバン買うだけのお金はないので、自分なりに見よう見まねで生地を買ってきてはデザインしてつくるようになったんですよ。幸いにも、実家が婦人服店を営んでおり、ミシンなどの機械があったので。
ほんと、高校時代は部活とバイトとファッション、それだらけの目まぐるしい日々でした。で、高校を出て当然のように名古屋モード学園に進んでファッションを学び、卒業後は某ドメスティックブランドを扱う企業に入社しました。そこでアシスタントデザイナーとして働くものの、2年くらいで辞めました(笑)。
いろいろありますが、核心的な部分をいうと、自分だからこそ生み出せるオリジナルを追求したかったからです。ただ、退社してから自分のブランドをつくり、ネット販売を試みるも、まったく売れず…。そのときは身をもって痛感しました。アパレルという世界は、デザインが良ければ売れる、という単純なものではないのだなと。
そんな折、とある友人から「パソコン使えるなら3Dとかでアクセサリーもつくれるんじゃないの?」といわれ、挑戦してみることにしたのです。服と違ってアクセサリーはロット数の問題に悩まされることも少なく、リスクも少ないかなと思いまして。しかし、いざ取り組んでみると、それはまったく異次元の世界でした。もう、毎日20時間パソコンにしがみつくようにしてスキルを磨きましたね。その努力の甲斐あってか、僕の作品は業界内で評判を呼ぶようになり、いろんなブランドさんから依頼を受けるようになりました。
お手伝いさせて頂いていたブランドがとても好調で僕自身でもこんな感じで自身のブランドで同じ光景を見たい。その勢いというか、感情の赴くままというか、無謀にも店を持つことに踏み切りました。
でも、全然売れませんでしたね。それまで業界内でこそ僕のデザインは評価されてきましたが、それはあくまでも裏方のデザイナーとしての実力であり、実際の購買層となる人たちからしてみると僕なんて「誰それ?」という程度の存在でしかありませんでしたからね。
なので、店舗を構えつつも店頭販売の実績はからっきしで、よそのブランドから依頼を受けてそれをつくるOEMでの収益で何とか凌いできました。
運がいいことに、東京コレクションに携わる方が来店してくれて、僕のデザインを気に入ってくれたんです。それでコラボの話をいただいて…。それからです、好転しはじめたのは。
正直、かつての僕は有名ブランドのデザインを手掛けてそれが評価されたとしても、それをひけらかすのは虎の威を借るような感じがして、自分の実績をひた隠しにする人間でした。が、あるときある人から「それって恥ずかしいことをしているのですか?」といわれてハッとしたのです。僕は、純粋に商品の良し悪しで判断してほしいと願うあまり、意固地で、頭が固くなっていてしまったのだと。
ありがたいことに、名古屋だけではなく、東京大阪、そして北海道や九州からわざわざ足を運んでくださる常連さんもいらっしゃいます。店でセレクトするアパレルは、僕自身が「ここまでするの?」と感動できるブランドを扱うよう心掛けています。アクセサリーで揃えるのは主に僕の作品。お客様の中には、僕のつくったものをお守りのような感覚で購入される方もいます。
そうですね。めずらしいかもしれませんが、実はうちの店、常連さんたちの間で「寺」と呼ばれているんです。「あした寺いく?」って感じで(笑)。というのも僕、よく相談を受けるんですよ。学校の課題から恋愛やFXまで、その内容は多岐に渡ります。別に自ら悩み事を募っているわけではありませんよ。ごく自然に、そういう風になっているだけで。なかには「木下さんのネックレスのおかげで攻撃的だった上司と仲良くなれました」と報告してくれたお客様もいましたが、さすがにそれは驚きを隠せませんでした(笑)。
ただ装飾品を売るだけの店ではなく、お客様にとって意味のある、価値のある店としてこれからもあり続けたいですね。また、そもそもスタイリングは実験のようなものであり、たのしいものなので、それを名古屋の街に発することができればと。個人的には、お客様からだけではなく、同業のみなさんからも頼られるような存在として、頑張っていきたいですね。