東海エリアの「古着の街」といえば大須。
そんなこの街において一際、独自の感性を放つのが『Panorama』と『diorama』という名の古着屋。
そのオーナーとして躍動するのが大橋知哉。
彼のこれまでの経験と、これからの展望について聞いてみた。
―そもそも大橋さんが古着の世界に足を踏み入れたキッカケは?
高校生のときに友達から「古着買いに行こうよ」って誘われて、何気なく行った当時大須にあった『古着屋セブン』という店にいたスタッフさんたちとの出会いが、僕と古着とのはじまりでした。そのスタッフさんたちがすごくいい人で、古着についていろいろ教えてくれて興味を持ち、それから、そのお店の方の一人が他店(CRUNCH)に移籍することになって僕もその店に通うようになりました。そこで古着だけでなくヴィンテージついても深く教わり、どんどん古着の世界にハマって行った…という感じです。大学生になってからはとにかくバイトで稼いだお金をヴィンテージに費やしていて、大学2年のとき、お店に誘っていただきアルバイトとして古着屋店員のキャリアをスタートしました。
―古着の魅力って、何ですか?
答えのないところですかね。アメリカの服もヨーロッパの服も国内の服も、世界中にある中古の服すべてが古着であり、正解なんてもとよりなくて次から次へと湧き出てきて、キリがありませんからね。その中からヴィンテージと呼ばれる物が生まれたり、その物の価値が人に求められるかどうかで変動したりするところもおもしろいです。
―『CRUNCH』で約7年修業したのち、ご自身の店『diorama』をオープン。もともと独立願望はあったのですか?
一応大卒なので、親にも感謝していたし、やるならやり切らないと示しがつかないかなと。自信も根拠もありませんでした。意地と、なんとなくですね。
―その後、2店舗目となる『Panorama』をオープンされました。
はい。『Panorama』はLAで知り合ったショップやショールームの友人がピックした”現地の感性”と、僕 がアメリカで買い付けた “僕が良いと思うヴィンテージ”を扱っています。LAの友人らとは、現地で僕が暮らしていたとき、売り手と買い手という関係から一歩踏み込んで仲良くなり、現在に至ります。
―LAで受けた影響も大きいのですね?
あっちは、街のつくりや気候はもちろん、文化も価値観も日本とは全然違うんですよ。せかせか働くことなく家族を大切にしていて、みんな広い家に住んでいて、コーヒーを飲むための時間やスペースをちゃんと設けていたりして。とにかく、すごく生活のありかたが豊かで、いいなと。
―そんなLA大好きな大橋さんにとって『大須』という街は?
大好きですよ。子供のころから慣れ親しんだ街ですし。カオスなところがいい。すぐ隣の栄にはいないような人たちがこの街にはゴロゴロいますからね。何しに来たんだろうこの人?って人が普通にいるあたりが好きです。これからも下町っぽさを大切に、資本主義に飲まれることなく、大須は大須のままであってほしいですね。
―カオスな大須に触れ続けてきた大橋さんから見て、この街は以前と今、変わりましたか?
人が増えたと思います。特に若い子たちが。古着自体の立ち位置も大きく変わりました。僕がこの世界に入った当初は、古着を着ている人も古着の店で働く人も「ちょっと変わった奴」という目で世間的に見られていたと思います。ひねくれている僕にとっては、そんな状況がおもしろくもあり、どれだけ無関心な人たちに響かせられるかを目標に頑張ってきました。でも今現在、古着が流行っていて、ショップオーナーとしてはありがたいのですが、個人的にそれはそれでちょっと寂しいかなと(笑)。
―ひねくれてますね(笑)。では、どうしましょう、今後?
僕自身、自分で自分のお店をやっているなら自由でいたいと思うんです。流行りを追いかけるのではなく、誰にも見向きもされていないけど自分の感性で選んだ物が評価されることに醍醐味があるので。物に対しての愛情だったり堅実に向き合う姿勢があるのは大前提なんですけど、純粋に自分が「カッコイイ」とか「キレイだな」と思う物が、刺さってくれる人がいればそれでいい。という考え方は変わらないと思います。なかには、5年くらいずっと売れずに待機している商品もありますが(笑)。それはそれで、おもしろいかなと。これからも、なんでもありのカオスな街・大須に欠かせない古着屋として、『diorama』と『Panorama』、自分らしくたのしんでいきたいですね。